絶望の中での運命的出会いスピリチュアルカウンセラーriri先生に私は救われた
その1
自分は最初、ただ自分がよくならなくてもお金が入ってくる生き方ができればいい と思い、自分の問題に真正面から取り組まなくてもよいように系統だったセッションは避けていました。🙄
系統だったセッションの代表ともいえるものがKaセッションで、自分のチャクラの中にある滞りを流すセッションになります。ただ、kaセッションは今までのセッションの概念とは異なり、自分で変わりたいと決断し、生き方や物のとらえ方をも勉強してゆく自分自身と向き合う必要があるセッションになっております。
この、自分自身と向き合うというのが曲者で私たちは知らずしらずのうちに、世の中の物事を自分に都合よく曲げて解釈しています。
これが、自分自身の思考の癖、習慣の癖であり、これに気づいて原理原則に即した思考、行動習慣を身に着ける必要があります。(この辺はアチーブメントと考え方が一緒です)
ただ、自分が過去に傷つけてきた人や過去に負った心の傷とも対峙しなくてはならないため、自分の価値観を守る目的でまとっているブロック(心のよろい)を捨てる必要があります。一言でいうと、素直になる。弱い自分、傷ついて泣きそうだった自分を認める。自分は認めたくない面も持っている人間だと気づく必要があります。
なかなか大人になるとプライドや理論が先行して、この、素直ができなくなってしまいます。
そうすると大概ブロックは外れすにその課題が将来の自分の行動や判断に良くない影響を与え続ける状態から抜けだせなくなってしまいます。
自分はよくセッション中に、
“素直になりたくないなら、その課題解決は来世でもいいよ。ってハイヤーセルフが言っている”
riri先生に言われることが多かったです。
来世って・・。今世はどうなるの?😱
確かに生まれ変わりは信じているし、来世でもアセンションの続きをするために生まれ変わる覚悟はできているけど、今世で向き合いたくないっていう都合だけでこの課題を来世のカルマには絶対したくない。いつもそう思い一生懸命通って(?)いました。
ほんとに勝手ですよね、自分の人生に自分が一生懸命なのは当り前じゃないですか。それに付き合ってくれているriri先生にとってはいい迷惑だったかもしれません。😓
ただ、学びの遅い自分でも最後まで面倒を見ていただいたおかげで、日々の生活で“なんでこんなに自分のやりたいことをやるたんびに邪魔が入るんだ”とか“本当に自分の人生はうまくいかない、いつもストレスだらけ”なんてことがセッションと月日を重ねるごとに減ってゆきました。
毎日生きているのがつらく、早く死んで楽になりたいっていつも思っていた暗黒の20代。根性がないから自殺さえできずに辛いながらもただ生きながらえていた30代。
正直riri先生に20代の時に出会っていたかった。そうしたら自分の人生の一番いい時期を20年も無駄に過ごさなくてもよかったのかもしれない、このブログを読んでくれている皆様には自分と同じ無駄な人生を過ごしてもらいたくない。そう思い今回文章にしたためました。これからもこのブログは続きます、よろしかったら続きもお読みになってください。
その2
今回は少し趣旨を変えて、素直に生きることの大切さをお話しします。
Kaアビリティーの中では、素直の対極にある打算や偽りの反応についても勉強します。この、偽りの反応のことを逸脱した神経系と言い、誰しもが知らず知らずのうちに身に着けてしまっているいわば”クセ”のようなものです。本来、人間は魂の修行をしながら進化してゆくように生まれてきています。(アセンション)
進化とは自分を「聖なる資質」と認め、自分自身を受け入れることを指します。 「聖なる資質」とはエゴに基づいたパーソナリティーとは対照的な、あなたの姿勢や感情や本質がハイヤーセルフと調和したスピリチュアルな存在の状態を指します。(真実や神聖さに基づいた生き方)
自分たちの魂が、肉体の中に完全に宿るためには神経系の道筋が浄化され開かれて、真理に基づいた自発性が備わらなければなりません。つまり与えられたすべての状況に対して最も自然で素直な対応ができることが自分を「聖なる資質」と認めることにつながるのです。
例えば、上司が持ちかけてきた相談に対して”上司を喜ばせようという意図をもって、自分の本意でない答えをする”などは自分にうそをつくといった意味で神聖性をけがしているのです。このような反応を起こすパターンを逸脱した神経系と言います。
このような反応を起こすパターンを自分の中に持っていればいるほど、自分の自然で自由で穢れのないスピリットを追い出して、エゴで作られるアイデンティティーの道を選ぶことになるのです。私たちは絶えず生きるためとか、仕方ないからといって自分自身を欺く選択をし続けてきました。逸脱した神経系を手放し、自分自身の神聖性に気づく生き方をしてゆきたいものです。
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